今月の名古屋オフ会、大阪オフ会に参加くださった方どうもありがとうございました。皆さん高いモチベーションを維持されている方ばかりで感銘を受けました。あれは皆どんどんうまくなっていくと思う。束の間の語らいを楽しませてもらいました!
今号の補足
今月号はメルマガをあまり推敲しないままに配信したので、読み返してみて思ったことをまずは補足として書いてみます。
ちなみに相手が自分の期待に沿わない 1 番の原因は、相手のキャパ不足にあり ます。2 番目の原因はあなたの観察力と誘導技術の未熟さにあります。たとえば ケチな相手に対して「いつもおれが御馳走してるんだから今日はお前が出せよ!」と怒りながら要求したとしても、相手は急なことを言われて嫌な気持ち になるだけ。そういう相手に何かをしてもらうためには事前の合意が必須です。
<19号公家理論編より抜粋>
これは例が少しわかりづらかったかもしれない。こちらがいつも腹を切っているからと言って相手にそのツケを負わせることが正当だとは思わないようにしたいということです。あちらは「奢ってもらうのが当然だ」と思ってる可能性もある。公平という概念が欠落していたり、甘えれるかぎりは相手に甘えつくす考えの人も中にはたくさんいる。そういう人たちに後出しジャンケンを仕掛けると関係がこじれてしまう。事前の段階で「いつもはおれが出してるんだし、今日くらいは御馳走してよね」と言って相手の了承をとって納得してもらうことが必要。ということ。
B) 言うは厳しく、するは優しく。
誰かと長期的な関係を続けるときは、最初の取り決め時に「こういうことはしてほしくない」「こういうことをしてほしい」といったような要求を極力厳しめにして出しておくことが大事です。しかし多くの人は、いいカッコをしたいのか、それとも博愛を気取りたいのか、これとは逆のことをしてしまう。つまり最初に口では調子のいいことを言っておいて実際はそれを守らない。そうすると相手は「最初に言ってたことと違うじゃないか」となって、あなたに対して不信感や嫌悪感を抱くようになります。<19号公家理論編より抜粋>
この部分は大切なことを書き忘れていた。
最初に厳しいことを言っておいて優しいことをしてあげると、相手のあなたに対する印象は上がっていく。たとえば直接的には後輩ではないけれど年下の男と付き合うときに、「年下だしぜんぜん奢るよ!」と最初に調子のいいことを言っちゃうと、会うたびに奢ってもらえるものだと彼は期待するだろう。しかし最初に「おれらは特に先輩後輩の関係ってわけでもないから、自分の分のご飯は基本自分で出してね」と釘を刺しておいて、ことあるごとに「今日は特別に奢ってあげるよ。まあ年下だしたまにはね」と言って奢ってあげると印象は上がっていく。そういう感じ。
お金の使い方が下手な人というのは、だいたい相手から「出してもらって当たり前」と思われるような出し方をしてることが多い気がする。お金は対人交渉を有利に進めるための道具であるのに、一度相手がそういう認識をもってしまったら、あなたはその関係を覆しにくくなって、相手に主導権を握られてしまう。だからこそ「言うは厳しく、するは優しく」という原則が大事になります。
E) 人格の未熟さを金で解決する
常識が欠落していたり、根本的にわがままな人というのは、周りから「ありえない」と思われて去っていかれることも多いです。そういう人が他人と長く付き合っていくためにはお金を有効活用するといい。お金で相手の負の感情を埋め合わせるのです。いくつかのポイントがあります。
一番目のポイントは、お金を払う口実をしっかりと作ることです。あなたがどれだけ粗相をして相手の感情を害したとしても、それの埋め合わせとして現金を素直に受け取ってくれるような人は実は少ないです。プライドというものがあるからです。しかしお金を受け取らないからといって、その人の中であなたに対するネガティヴな気持ちが消えたわけではありません。だからナンパで「ホテルに行く」言い訳を女に用意するのと同じ要領で、相手が「お金を受け取る」言い訳を用意することが大事になります。言い訳として一番自然でオーソドックスなのは、「迷惑かけたお礼に」や「いつもお世話になっているから」などと言ってご飯を御馳走させてもらうことでしょうか。
二番目のポイントは、相手にごちそうするときは心底申し訳なさそうにすること。ぼくの講習生に何人かいましたが、なまじお金を持っている人間は、あたかも当然のように自らの非を「お金を払って解決」しようとします。金払うんだから文句ないだろ、と。また「金持ち」キャラとして最初に周りから受け入れられれば、傲慢な振る舞いもおおめに見てもらえるのでは?と勘違いしている人もいます。全然わかっていません。そういう人はそのうち自分が周りから「金」としてしか見られていないということに気づくでしょう。他人との付き合いをレストランでサービスを受けることのように勘違いしてはいけません。傲慢な態度が漏れ出ると相手を苛立たせることになるわけですが、お金は万人にとって魅力的なものですから、相手は誘惑に負けるようにしてあなたのお金を受け取ってしまうこともあるかもしれません。しかしお金を受け取ったからといってあなたに対する不快な気持ちが消えたわけではありません。彼はそのお金でなんとか納得しようと自分に言い聞かせているだけです。
わかりますね?そもそもお金自体には相手の気分を癒すような力は根本的にはないのです。あなたの気持ちが伝わることによってのみ相手は癒され、心からの許しは得られます。お金はそれを補助するにすぎません。そのことは肝に銘じておいてください。
F) 貧乏を人柄でカバーする
反対に、お金がない人の基本戦略を書きます。まず最初の段階で少しずつ貧乏アピールをしておくことです。そしてそれを埋め合わせるかのように人一倍動いて動いて周りに対して気を遣うことです。お金を出す人の感情を害さないようにいつも心掛けること。たとえば飲み会の例で言うと、会計などの雑用は率先してやる。盛り上げキャラや弄られキャラになって場をなごませる。店員とのコミュニケーションは一手に全部引き受ける。「2次会はどこに行くか」など場全体の決定をくだすときはお金を持ってる人に逐一うかがいをたてる。またもしあなたがナンパをしていて知り合いに若い女がたくさんいるのであれば、これはお金のあるオジサンたちにとっては最高の食いつきポイントになります。こういう諸々の動きでカバーできた時に初めて相手から喜んでお金を出してもらえるようになります。
お金を出してもらうたびに、形式的にであれ毎回感謝を表明するというのは大事です。ただ変にへりくだって申し訳なさそうにするのは絶対ダメ。仕事のようなものだと思って堂々と奢られてください。「お金はないけど憎めない」というキャラが受け入れられると、長期的な関係を築いていくことができます。
教育される恋愛
A) イエスマンになる
教育されるときに 1 番大事なのは、「イエスマン」になることだと思います。彼女の主張や教えが自分の価値観とは違ったものであっても反発しないこと。<19号公家理論編より抜粋>
と書いておいて恐縮ですが、実は彼女に対して反発したりたてつくようなこともたくさん言ってました。忘れてた。ただやっぱり相手のことを全力で否定しにかかるようなことはなく、最終的には彼女の顔をしっかり立てて、こちらが折れていたように思います。
番外編ここから!
自分のことを知る
18号ではシチュエーションから想像力を働かせて相手に共感するということをやってきました。またそのためのフレームとしてBIG5というモデルを紹介しました。参考になれば幸いです。ただ17号でも書いた通り、こういった分析は、身体同調による共感が土台にあるということを忘れないでほしい。身体同調を疎かにしていると、ついつい間違ったやり方でパラメーターを操作してしまいがちです。よく犯してしまいがちな間違った共感について書いてみます。
例1
テレビドラマの中で浮気をされた登場人物を見ると、<あの人は傷ついているはずだ>と自動的に思い込んでしまう。
過去にパートナーから浮気をされてひどく傷ついたことのある人にはよく起こることかもしれません。相手の感情を自分の中に作る時に、<浮気をされた>というシチュエーションだけを自分に置き換えてしまう。しかし<浮気をされた>時の捉え方や消化の仕方は人それぞれなわけで、必ずしも傷ついているとはかぎらないはずです。ですのであくまでも画面の中のその女性の身体情報を主の判断材料にして(表情や声から傷ついているかどうかを察する)、その他のシチュエーションなどは補助材料にとどめておくべきでしょう。
例2
自分の娘が男にやり捨てされたと聞いてどうしようもなく悲しい気持ちになった。その男に対しては殺意を抱いてしまった。
もし身体同調を一番の判断材料にしていたら、娘さんのほうは即られても意外にケロっとしているということに気づけたかもしれません。だけどなかなかそんな冷静に身体同調できない。ネガティヴな想像や男に対する怒りがどうしようもなく溢れてきてしまう。根本的には当事者の気持ちは当事者にしかわからない。だからこそ身体情報を判断の基礎にするべきなのです。
このように自分自身の感情が強く生起されすぎると正しく共感できなくなってしまいます。例1では実際に自分を裏切って浮気をした男に対するネガティヴな想い、例2では自分の娘に対するポジティヴな愛情が強烈すぎます。強烈な感情によってポジティヴな想像力もネガティヴな想像力も働きすぎてしまい、結果あなたの中に「思い込み」や「ゆがみ」を作ってしまう。それが他人に対する自然な共感を阻害する。自分では共感しているつもりでも、相手のことを正しく反映せずに、自分本位で勝手に喜んだり、憐れんだりしてしまうことになります。母から子への共感の多くが全くのピント外れであるのは周知のとおりですよね。
よくわからない感情がふと芽生えたら自分を知るチャンスだと思え
内面から溢れる強烈なものは時に怒りであったり、攻撃衝動であったり逃避願望であったり、嫉妬心であったりします。名前すらつけられないような不快感や衝撃を味わうことだってあるでしょう。そういうときは新しい自分の一面について知るチャンスだと捉えるのがいいです。
例3
彼女が携帯を勝手に盗み見してくるのが腹が立って仕方ない。
彼女の気持ちに共感しようとしても、彼女に対する怒りが先立ってしまうことがあります。
それではあなたのその怒りはどこから来るのでしょうか。
自分の領域にこっそり泥棒のように入ってこられた屈辱感から?それとも自分は彼女の携帯を見たくて仕方ないのを我慢していたのに、彼女はその一線を越えてしまったから?それとも?
丁寧に自分の心に問いかけてみてください。
例4
女を自宅に呼んでセックスをしたら、終わった後ピロートークでえんえんと日々の愚痴を話し続けられた。
セックスが終わった後にも彼女に共感しながら話を聴き続けられる男というのはなかなか少ないのではないだろうか。
共感するには相手の身体挙動に対して集中する必要があって、たとえば眠気などで集中を阻害されると共感できなくなってしまう。その時あなたは彼女に対してそこまで興味をもっていない自分に気づくかもしれない。
例5
女「AKBのこの楽曲に人生救われたんだよね」
あなたは彼女のこういった自分語りにしっかりと耳を傾けられるでしょうか。彼女に共感するためには、自分自身も何かしらの人生を救われたような経験に本来なら思いを馳せるべきところなのですが、慣れていないとこういうタイプの共感は難しいでしょう。
もしあなたがAKBを好ましくないと思っていたら?彼女に対してあれやこれや意見したくなってしまうのではないでしょうか。
自分の好き嫌いを知覚するチャンスです。
例6
女「わたし本当ダメな男にひっかかりやすいんだよね」
彼女の弱い心持ちに共感できずに、「バカだな」とか「意志が弱いんだよ」と感じてどうしようもなく苛立ってしまうことがあるかもしれません。
しかしなにがそこまであなたを苛立たせるのでしょうか。自分自身のモテなさに嫌気がさしてるのでしょうか?彼女のことをどうしようもなく好きなのでしょうか?彼女をコントロールしたいのでしょうか?
例7
女「オシャレをしてるのは自分のためであって男に好かれるためではない」
こういうことをいう女はよくいますが、彼女のそういう言動に対して素直に共感できず、「そんなことはありえない」と否定しにかかったり、「そう思いたいんだね」などと婉曲的に言って嘘を暴こうとしたりしてしまうこともあるのではないかと思います。
なぜあなたは彼女のその複雑な心性に共感できず、彼女を頭ごなしに否定したり暴いたりしたいのだろうか。
例8
「身長180センチない男はNG」
「既婚者や彼女持ちはNG」
たとえばオンラインアプリで出会った女が上のようなプロフィールを掲げているとき、自分がもしNG枠に入っていたならば彼女の「パートナーに対するこだわり」に共感するのは難しいかもしれません。自分も女に対してはいろんな基準があるのに、彼女のことをムキになって否定しにかかったり、浅はかだと非難したりバカにしたような言動をとってしまうかもしれません。
これは一体なぜでしょうか?彼女に相手にされない惨めさがある?一発ヤレない苛立ちがある?基本的には自分自身が否定されているときは他人への共感なんてできなくなってしまうものだと思います。
例9
ナンパ仲間から「この前このモデルを即った」と写真が送られてきた。
彼に共感するためには、本来なら相手のその有頂天さや達成感を自分の中に作り出すべきところですが、うまく共感ができなくなってしまうことがあります。これは俗に言う嫉妬や羨望と言われている感情で、福沢せんせいがけちょんけちょんにけなしている感情でした。
共感するというのは相手にできるかぎり近づいていく試みですが、自分と相手とは最終的には違う個体であり、どこかでこれ以上近づけなくなるところがあります。誰かに嫉妬を感じたときというのは、自分はどうなりたいのかという隠れた願望に気づくことができるチャンスだと思うといいでしょう。
例10
女から甘えてこられると吐きそうなほど嫌悪感がわく。
彼女の甘い感情にうまくフォーカスを向けて共感することができない。衝動的に相手を拒絶して遠ざけたくなってしまう。もしくはセックスだけして、そのままなるべく酷い形で放り捨ててしまいたい気持ちになる。これについては次号詳しく書く予定ですが、自分の中のこの嫌悪感を丁寧に精査するチャンスだと思うのがいいでしょう。
例11
昨晩のW杯ポーランド戦、後半戦の監督の采配に腹が立った。あの逃げの采配を褒めてるやつのことが1mmも理解できない。結果決勝トーナメントに進出できたから万事OKっていうけど、スポーツって後先考えずに目の前の試合を全力でやるから素晴らしいんじゃないの~?
思いのほか「成果主義」に賛同できていない自分を発見してしまいました。
それでは、あなたは何主義なのでしょうか?成果主義にとって代わる価値観を信奉しているのだとしたらそれはいったい何?
このように例を出していけばキリがないですが、相手に共感しようとする営みの中で、これまではあまり認識できなかったような自分の感情に初めて気づいていきます。最初は強烈な感情に気づくところから。そのうちに微細で複雑な感情にも気づけるようになってきます。
外界から自分を遮断してひとり部屋でいろんなことを考えていても新しい自分を見出すことはできません。既存の思考の堂々めぐりが待っているだけです。そういう状態で本を読んでも無機的な知識が増えるだけです。反対に、外界で誰かとコミュニケーションをとるとあなたの感情が刺激されます。それによって自分の歪みに気づいたりして、結果として独りよがりな価値観から少しずつ抜け出せるようになっていくことも多いです。「他人は自分を映す鏡だ」とはよく言ったものですね。本来の使い方とは違うかもしれないけど。
わかっちゃいるけどできないこと
例1 些細なことですぐに謝ってしまう
友人から「メール送っておいてって言ったじゃん」と言われて、反射的に「ごめん」と言ってしまったが、よく考えたら俺は別に悪いことしてない。
ペコペコ謝ってしまう自分が嫌なんだけど、つい反射的に謝ってしまう。大声で恫喝なんかされた日には、そのことを思い出してずっと気分が落ちてしまう。
瞬発的に謝ってしまうとき、あなたはいったい何を感じているのか。
ペコペコ謝ってしまう自分のどこが嫌なのか。
例2 秘密を漏らしてしまう
友人から「この話は秘密ね」と言われて打ち明けられたが、つい口が滑って別の人にその秘密を漏らしてしまった。
なぜそんなことをしてしまったのか。
あなたはその友人を見くびっているのか。
それとも他の友人は特別だと考えているのか。
他人の秘密をどうしても漏らしてしまうとき、あなたの心の中ではいったい何が起こっているのか?
例3 つい嘘をついてしまう
他人に学歴を尋ねられると挙動不審になってしまう。それで実際よりも高学歴の大学を言ってしまったり、逆に実際よりも低く言ってしまうこともある。
ぼくは嘘には3種類の嘘があると思っていて、
1、オフェンシブな嘘(自分の地位や財産を広げていくためにつく嘘。他人同士の中を攪乱したり。サイコパス的な振る舞いの多くはこれ)
2、ディフェンシブな嘘(自分の地位や財産を守るためにつく嘘。例えばヤリチンの「浮気隠し」はディフェンシブな嘘である)
3、そして衝動的な嘘(見栄を張るためについてしまう小市民的な嘘)
学歴詐称などは3番目の典型で、こういった嘘は一番人間らしいと思います。自分自身の何かしらを受け入れられないときに人は衝動的に嘘をついてしまう。そういうときは、自分は周りからどう見られたいのか/どう見られたくないのかということを振り返り確認するチャンスです。
例4 バカを装えない
ネットハラスメントにはパスワード変更を奨めよう!
https://cruel.hatenablog.com/entry/2018/05/01/150046
再びこの例を出します。この振る舞いがなぜ達人の域にさしかかっているかというと、常人の場合は「自分は馬鹿だと思われたくない」という感情が働くからです。「乗っ取られているかもしれませんよ」と警告するというのは、わざと騙されたふりをするということであって、「自分はマヌケである」とアナウンスするようなものです。周りから賢い人間だと思われたい人にとってこの振る舞いはなかなかできることではありません。
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地蔵してしまうとか個室打診ができないとかボディタッチができないというのも煎じ詰めれば同じカテゴリーです。共通しているのは、自分の行動をコントロールできないということ。だからこの3つのシチュエーションは自分自身の感情にアクセスする大きなチャンスなのです。
またこういった行動が極端になっていくと、ある種の依存症的な行為(パチンコがやめれないとか)や強迫症的な行為(玄関は右足から出ないと気が済まないとか)へともつながっていきます。ただこういう行為は、モチベーションがひたすら個人的なものなので一般化して書くのはとても難しい。長期的に(場合によっては生涯をかけて)自分自身と注意深くつきあってモチベーションを少しずつ認識していくことになるでしょう。なにかのきっかけで自分自身の心にじゅうぶん奥深くアクセスできたなら、自分の動きがフワッとコントロールできるようになる。もしくはそもそもそれをコントロールしようとするのを諦めれるようになります。どういう形であるにせよ、それまでつっかえてにっちもさっちもいかなくなっていた葛藤がフワッと解除されるということがある。植木等の楽曲『スーダラ節』(古い!笑)で「わかっちゃいるけどやめられない」という一節があるけど、これはもう完全に諦めて開き直って歌うことで葛藤を克服した感じですね。「しっかりと心から諦めれる」というのも精神の正常な成長のひとつかと思います。
まとめ
全体的に例が疎くて申し訳なかったですが、他人に対する探求(共感)は自分自身に対する探求と不可分になっていることが、ある程度はお分かりいただけたかと思います。ぼく自身は昔から漠然と他人との溝やズレを感じていたことがきっかけで、ナンパをある程度やりきった20台後半以降は、共感の訓練に数年間意識的に打ち込みました。そのプロセスの中で、驚くほどたくさんの新しい自分を見出したという経緯があります。意識的に訓練し始めてから、自分はこんなにも自分自身を隠蔽したり欺いていたりしていたのかということに気づいて唖然としました。
コツとしては、ひとりの他人と接するように自分と接することでしょうか。この他人だけは四六時中そばにいて、どうやっても遠ざけることができません。都合の悪いものはすぐ隠そうとするし、すぐ嘘をついてごまかそうとする。せめて自分自身のことはできるかぎり受け入れるという姿勢をもっていないと、身体のコントロールもままならないし、もしずっと隠蔽されたままならストレスもたまり続けるし、将来とんでもないところでしっぺ返しを食らうかもしれない。本当に困ったやつです。だからじぶんとは丸腰でつきあうこと。自分のことが深く細かくわかるようになって付き合い方が上達してくると、その副産物として、他人のことも手に取るようにわかるようになってきます。そうすると誘導の技術も格段に上達するようになると思います。
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